書きたいけど書けないやつのための物語講座

俺はしゃべりすぎるから、全部読まなくていい。お前が書けると思ったら、すぐ読むのをやめて、書け

小説講座 主人公のする決断について


すべての事に理由をつける事ができる。
これはどうでもいい話だが、俺は買い物をする時、迷ったら止める事にしている。欲しいものがあって、その選択肢が二つあったとして、どちらを買っても後悔は無いだろうなと感じる。それでいて、どちらを買うか迷ったら、止める。買わずに後悔した経験は、あんまりない。
いや、本当に俺の話はどうでもいい。
ただ、物語のラストで主人公が俺と同じ考えを発揮させたとしたら、興醒めもいい所。主人公は決断的であるべきだ。どちらか片方を選べと言うのではない。主人公は決断し、進むべき方向を決める。

 

物事を対比して考えるというのは、発想の基本だ。
あるいは、俺は弁証法の話をしようとしているのかもしれない。だが、そういうのに関しては俺よりも説明がうまいやつがいくらでもいるので、詳しくは話さない。
また話が逸れてしまうのだが、演繹法帰納法だけで考えられた小説は、大体面白くない。演繹法とは、一般的に思われる前提を論理的に展開し結論を導き出そうとする事。帰納法とは、具体的な経験を列挙し、そこから一般的な法則を見つけだそうとする考え方だ。「悪い奴らを倒したら平和になった」「泣いてる奴に手を貸してやったら友達が増えた」とか、まあそういう感じのエピソードがぶつ切りに配置され、ラストは一応一区切りついたような雰囲気だが、こいつらはこれからも同じ事を繰り返すんじゃないかっていう、そういう物語だ。
そういう話でも面白い話はある、そうお前は言いたいのだろう。それはその通りだ。実際の所、中核となるコンセプトがしっかりしていて、一本筋の通ったテーマが話をつないでいれば、どんな話でも面白くする事ができる。しかし、それは結構技量が必要な物だ。
そういう考え方が悪いわけじゃない。そういった一本道に見える物語は分かりやすく、読者に理解してもらいやすいという最大のメリットがある。だが、流石に脇道にそれ過ぎた。続きはまたにしよう。

自分にあった方法を探せという事かもしれない。また、演繹法帰納法が役に立たないって言うんじゃない。ただ、決まった考え方ばかりするなと言っている。

 

弁証法はダイナミックな思考方法だ。一つの考えと真逆の考えを戦わせて、新たな考え方を生み出す。これこそ小説ではないか。

平和を愛していて、今の生活にある程度満足している主人公が居たとする。その平和を脅かす集団が現れる。主人公はその集団を憎み、戦うか、逃げるかする。自分にできる事を全力でやるだろう。そこに迷いはない。
だが主人公は世界の裏側を知ってしまう。敵の集団は主人公たちが平和に暮らすために犠牲になっていた人たちだった。主人公は元の生活に戻りたいと望むが、もう何も知らなかった頃には戻れない。
主人公の最初の決断だ。主人公には選択する権利が与えられる。主人公に関わらず、すべてのキャラクターは欲求を持っているが、特に主人公には決断する事が必要だ。真の物語は、そこから始まるのだ。

 

主人公は決断する。そのシーンはさりげない物であるかもしれないし、周囲の人間に土下座されたり、あるいは「お前にできっこない」と言ってくるキャラクターがいるかも知れない。
また、主人公はどの程度の覚悟があって、その決断をするのだろうか。


強い意志と筋肉を持ったキャラクターならば、その決断を下した瞬間に、もはやすべての迷いは消える。俺はアクション映画なんかの話をしている。「やる」と決めた主人公は敵の数がどんなに多くたって、卑怯な手を使ってこようと、「復讐はなにも生まない!」なんて言われても、それに苦戦したり、弱音を吐く事はあっても、最後までやり遂げる。それができなければ死ぬ。クライマックスまで一直線だ。読者は主人公が「どのような決断をするのだろう?」とは、あんまり考えない。「どうせやるんだからさっさとやれ」とかそう考える。「どう切り抜ける?」「成功するか? 失敗するか?」読者の興味はそこにある。

 

最初の決断を下した時、主人公は未熟な状態である事が少なくない。物語とは変化を現す物であり、その役割は多くの場合主人公が担うからだ。主人公は平和だったあの頃の生活に戻りたいと密かに願い続けているかもしれない。生き残る為に戦い続けると決めたものの、迷いがある。だから、新しい真実を突きつけられた時、再び迷いが生じて、決断の時が訪れる。


平和な町で暮らしていた主人公。そこに襲撃者が現れて、戦いになる。
襲撃者との戦いの末に、主人公は襲撃者たちが戦う理由を知る。主人公は、本当の敵を知り、襲撃者たちの戦いに加わる決断をする。
主人公は決死の作戦を実行するが、失敗する。仲間の殆どが死に、生き残ったのは主人公ともう一人。そのもう一人は裏切り者で、真の敵と繋がっていた。主人公は怒り、裏切り者を殺さなければならないと決意する。
裏切り者を殺した主人公は、その腕前を真の敵に買われて、仲間にならないか打診される。主人公が監禁された場所は、夢のような世界。かつて平和な町での暮らしを再現したみたいな生活。主人公はどうする? 素直に物語を進めるなら、主人公は幸せな生活を放棄し、戦いへ復帰する活路を開かなくてはならない。その先にはあらたな決断が待っている。

 

あるいは、何もかもを忘れて、このままここで生活するのも一つの決断だ。その決断は、今までとは性質の違う決断であると分かって貰えるだろうか? 主人公には今まで正義の為に戦う、道徳的美徳とでも呼べる物があって、それに従って決断してきた。しかし、今回の諦めとでも言える決断は、今までの自分を裏切る物だ……そのように考えなくてもいい。しかし、ここではこれが決定的な決断であるとさせてもらう。

主人公が最後の決断、最後の変化を遂げたら、次はクライマックスと解決のシーンだ。主人公は裏切り者と同じ行動をして、そして……。

 

もう一つ、別タイプの主人公を紹介しよう。
お前は劇的アイロニーという言葉を聞いた事があるか? すなわち、読者とキャラクターの間にある認識の食い違いだ。
お調子者の主人公を想像してみろ。周囲の連中は主人公をおだてる。主人公は乗せられて、さらに気が大きくなる。調子にのった主人公は、身の丈に合わない決断をする。
この時主人公は本気でやれると思っている。一方で読者は失敗すると確信している。
物語の展開のさせ方は様々だ。絶対失敗すると予想させておいて、外的要因か何かで成功してしまう。うまくやれば絶対に面白くなる。
あるいは、必ずくる失敗を先延ばしにする。ゴムを引っ張るみたいに、威力は高くなるが、主人公はその危機に気付かない。何故か得意げですらある。読者はハラハラする。
この主人公もやはり、新たな真実を知る度に、新たな決断を迫られる。ただ、主人公が見ている世界は、読者が見ている客観的な世界とは異なっている。物語の最後で主人公は最後の決断をして、結論を得る。しかし、その結論は主人公と読者で違った物になっている。
成功を重ねた主人公が、最後に痛い目に遭い、叫ぶ「なんて理不尽だ!」読者は主人公は先延ばしにしてきただけで、何一つ成功させなかった事を知っている。主人公が世の中はおかしいとまじめに叫ぶほどに、読者は正反対のテーマを強く感じ取る。「自分が見えてないだけで、主人公の自業自得だ」

 

俺が言いたいのは、視点を変えてみろという事かもしれない。
まず主人公の視点。主人公の正義。お前は主人公にどんな冒険をさせたい? どんな結論に到達させたい?
つぎに敵。主人公とは真逆の性質を持っている。もう一つの正義。主人公が白なら敵は黒。黒をはっきりと描く事で、主人公の白は際立つ。あるいは主人公は敵の影響で灰色になる事もあるし、あるいは赤とか、ぜんぜん違う色になっている事もある。

お前が小説で伝えたいこと。お前がキャラクターにさせたい事。その、真逆の事を学べ。

物語はシンプルで分かりやすい方がいい事もある。ただただ悪い奴を出して、それを倒す事にはカタルシスがある。しかし、それしか書けなくてはすぐに弾切れになり、小説と呼べるかどうか微妙な代物ができあがる。お前が良質な悪い奴をいくらでも表現できるというのなら、あるいはその書き方が最高かもしれない。

 

複雑な物語でも、主人公の決断が明確であれば、主人公についていく限り読者はシンプルなストーリーを味わう事ができる。当然お前はその事を自覚して書かなければならない。

主人公が決断し行動した事が、何でも成功してしまったら面白くないかもしれない。ワンパターンになって、読者には先が読めてしまう。主人公の行動はマヌケに見えるのに、それなのに成功し続けていたら滑稽だ。

逆の事を考えてみろ。パーティーを台無しにしてやろうともくろむ主人公。その結果、パーティーは大成功し、主人公は感謝さえされる。

すばらしいアイディアが一つあれば、小説は書ける。しかし、そうでないならたくさんのアイディアを生み出さなければならない。
まずは逆の事を考えてみろ。次は、別の視点から。

お前が苦労して生み出したアイディアの殆どは採用されず、そのままゴミ箱行きかもしれない。それでいい。捨ててしまえ。執着するな。だが、捨ててもお前の出したアイディアが完全に消えてしまう事はない。いつしかお前がまたゴミを生み出した時、かつてのゴミが不意に蘇り、さっきまでゴミだったアイディアを、奇跡的に面白いコンセプトへと昇華させる事がある。本当だ。

たくさん考え、たくさん捨てろ。これは何も小説を書くときに限った話じゃない。お前はこれまでいろんな物を見聞きしてきたはずだ。同じ物を見ても、全く同じ考えという事は殆どないんじゃないかと思う。模範解答を口にするのは先生の前だけにしておけ。お前はお前の思う通り考え、その考えも未練も無く捨ててしまえ。
ただ、捨てるって事はその前に自分の物にするって事だ。贅沢に考えて、すばらしいアイディアを思いつけ。ただ、すばらしいアイディアも手に握ったままにしておいては腐ってしまう。すぐ使わないならさっさと捨てろ。

 

今日もしゃべりすぎた。書けなくなったら、また会おう。