書きたいけど書けないやつのための物語講座

俺はしゃべりすぎるから、全部読まなくていい。お前が書けると思ったら、すぐ読むのをやめて、書け

小説講座 謎が物語を引っ張る

ホテルを出て、すこし周囲を探索してみる気になった。
ふと目に付いたのは、赤煉瓦のおしゃれな店だった。いや、おしゃれというのは婉曲表現だ。その外見は洗練されているとは言い難く、なんともちぐはぐな印象だ。屋根は和風とも中華風ともつかない瓦。扉は目が痛くなるようなパステルカラー。
一見何を目的とした建物なのか分からず、かといって、美的感覚に自信があるわけでもないのであまり大きな声で批判はできない。また、興味を持って近づいてしまったのだから、宣伝効果が無いとも言えない。
イーゼルに乗せられたコルクボードには、メニュー表が張り付けてあり、なるほど、多国籍の創作料理屋だという事が分かる。
ふむ。しかし、店の外見と同じく、曰く言い難い雰囲気の文字列だ。掲載されている写真からは一切食欲をそそられない。「円」表記である事から、値段に関してはどうやら、間違いは無いように思う。一方、適当に指さして頼んでみたら、食べ物が運ばれて来るとは限らないような、そういう凄みを感じる。
入り口には手書きの張り紙があって、そこには「まともな日本語は通用しません」という文言が毛筆で描かれていた。つまり……まともに日本語が話せない人間でも歓迎するという事だろうか?
店内に入ると、まず、そこそこ人が入っている事に驚いた。身内だけで集まって飲み食いする趣味の店だったかと後悔しかけたが、どうやら違うらしい。
「へい、兄さんどこから?」
カウンターの向こうでそう声をかけてきた男が居た。レジスターの向こう側に居るのだからおそらく店の人間だと思うのだが、その赤ら顔がアルコールに由来するものじゃないかと思ったので、単に迷い込んだだけかもしれない。
「近くのホテルに宿泊している。通りかかって興味を持った」
「そりゃ、えらく遠いとこからようこそ。さぁ、開いてない方の席にどうぞ」
なるほど。看板に偽り無しというわけだ……

 

さて、まあ、戯れ言はこのくらいでいいだろう。
話がうまい奴が、説明上手だとは限らない。心理学で徐々に証明されつつある事だが、人間は合理的に不合理だ。この世で最も役に立ちそうな文章は、最も役に立たない。分かりやすくかみ砕かれた文章は、とても消化しやすくて、栄養もありそうだが……実際に必要な能力は、その噛み砕く方の力かもしれない。

分かりやすい文章には価値がある。分かりにくい事を分かりやすく解説するのは、本質を理解する能力と、それを分かりやすく伝える技術が必要であり、理解できる文章は面白い。

 

一方で謎を多く含んだ文章は、理解をさせない事に価値がある。読者を答えに誘導しつつ、自ら答えを導き出させる。クイズ、なぞなぞ、パズル。そして、小説だ。
小説に限らず、物語の魅力には謎がある。誰か自分には好奇心という物が存在しないとかいう奴はいないか? もしお前がそうだと言うのなら、俺と話す機会も無かったはずだ。人が何に好奇心を抱くのかを学べ。実際の所、何にだって好奇心を感じるものだ。

 

謎が物語を先に進めるというのなら、なぜお前の話は一向に進まないのか。それは答えが無いからである。
いいか、あるいは読書というのは作者と読者の会話だ。お前がどれくらい現実で誰かと話す機会があるのかは分からないが、初めて会ったやつに、お前はなんて話しかける? そいつがなんて言ったら、会話を続ける気になる?

 

お前が話しかけた男は、不意に話を始める。
「なんとかという町のホテルに泊まった事があるんです。仕事は夕方で、昼は空き時間だったので、周囲を探索する事にしました。そこで、ちょっと変わったお店があったんですよ」
まあ、そんな事を語り始める。お前は「あ、忙しいので」とか、「その話、長い?」とか言うだろうか? そういう事を言う奴はここまでたどり着かない。ネットなら無言でどこかに行くだろう。それは失礼でもなんでもない。

 

お前はもしかしたら「ふぅん、まあ先を続けてみろよ」と思って、黙って話を聞くかもしれない。「変わったお店? どんなお店だったんだい?」と、好意的に先を促すのかもしれない。
「外観が変だった。近づいてみたけど、間違いなく変な店だったんだ。和洋中折衷とでもいうのかな? 入り口にはメニューがあって、まさしくその通りの店だったんだ。なるほどと思ったんだけれど、入り口には驚くような事が書いてあったんだ。何だと思う? まともな日本語は通じません、だって」
男はお前の反応を気にしつつ、男がどのように疑問に思ったのか、それをどのように解釈したのかを伝えてくる。口調もややなれなれしくなってきた。
お前は男の話にさほど興味が無いかもしれない。その男が本当の事を言っているとは限らない。だが、金をだまし取ろうと考えているわけでもなさそうだ。そのまま話を聞き続けたとして、失う物は時間だけ。
もし現実なら、まあそのまま話を聞くんじゃないかと思う。ネットなら、殆どの奴は無視するだろう。せっかちな奴ならオチが付くのかを先に確かめるのかもしれない。

 

コンセプトと言うのは大きな落とし穴のように考える事ができる。魅力的なコンセプトは読者に大きな疑問を投げかけて、主人公が答えを見つけだすまで読者を離さない。
コンセプトそのものに魅力があるなら、そいつを車のリアウィンドウにでも張り付けておけば、走り出したら読者は一生懸命ついて行こうとするものだ。
一方でコンセプトその物にインパクトは無い事も十分にありえる。たとえば「町で見つけた絶対に入りたく無い店を紹介する」とか。
もし俺が冒頭でバカ正直に「これはついさっき考えた創作で、現実とは何の関係も無い話で、オチも考えて無い」とか言ったら、お前はその先に興味を持つはずが無い、と思う。
だから俺は、謎を小出しにして、興味でおびき寄せて、絶対に人が近寄らない場所に来た所で、コンセプトに突き落とした。
落とし穴に落ちたお前を見下ろして、俺は物語の先を続ける。もし突き落とされた先に魅力を感じなければ、読者は穴から自力で這いだして、どこかへ去ってしまう。
コンセプトに魅力があれば、読者は「やられた。先を続けてくれ」と穴の中で先を促す。
いや、今日は謎の話をしているので、やはりその店で何が起こるのかは語らない事にした。ヒントだけ出す。「話が通用しない俺に通訳が来る。俺の言葉をその店のルールに合わせて翻訳する」「ルールを理解した俺は店のルールに適応して、どうにか無銭飲食を果たそうとする」「俺が店に入った直後困っていたように、今度は店側が困る」「最後は非常識な理屈で常識的な行動を取る」

 

1+1=
実に簡単な計算だ。お前は、それに「答えを出さない」事はできるか?
3×4=
お前は簡単な計算を頭に入れた瞬間答えを出す。その問題に答えるつもりはなくても、答えを出してしまう。
33×42=
いや、インド式なんとかで、一瞬で答えを出す奴がいるのも知ってる。けれど、おそらく筆記用具を使わず、それの答えを出すのは苦労すると思う。
計算で例えたが、他の物でも同じだ。つまり、物語でも同じだ。

 

「復讐は何も生まない」
いきなりそんな事を言われたらどう思う? 使い古されたテーマだ。それだけに普遍の価値があるとも言える。お前は答えを出すのに躊躇するかもしれない。

「家族は大事だ」
こっちはまだ頷きやすい質問だ。公の場でなら大いに頷くだろうし、まあ、即座に反感を覚える奴は少数派だろう。
「家族が殺された。復讐してやる」
大切な家族を見せられた後なら、尚更、その答えに頷く事ができるかもしれない。少なくともその気持ちは理解できる。読者は、主人公の復讐劇を見守るかもしれない。
「自分の家族には殺されるだけの理由があった」
それは大きな落とし穴だ。物語のテーマ性が浮き彫りになり、即座にはその穴から抜け出せそうにない。主人公は何と答えを出すだろう。自分の大切な人を奪われたのだから、当然怒りはある。しかし、その大切な人にも落ち度があって、それを理解してしまった。主人公はどのように答えを出す?

 

謎の魅力は答えを知りたいという気持ちだ。
物語が始まると、読者は主人公にとりあえずついて行く。そうすると、主人公はとある謎に出会う。主人公は謎を解き明かそうとする。読者が主人公と同じ考えだと思えば、読者は主人公に共感したという事だ。
主人公は更に先へ進む。事件に巻き込まれて、大問題に直面する。すぐに答えは出せそうもない。主人公は一所懸命に悩み、読者もそれなりに考える。主人公は答えは出さないが、決断し、進むべき方向を決める。その決断が妥当であると読者が思えば、やはり共感する。

まずはコンセプトを練って物語を完成させろ。テーマを考え抜いて、何を伝えたいのかをはっきりさせておけ。どちらも読者に直接見せる事は無いが、お前はそれを完全に把握しておく必要がある。

お前はとりあえずプロットを完成させた事があるかもしれない。そして、それをどうやって小説の形にしようか悩み、考え、結局捨ててしまったかもしれない。それはそれでいい。
だが、もし表現方法に迷っているだけであれば「謎」の力がそれを解決するかもしれない。
まずはコンセプトを考え抜いて、それから、それに、疑問をぶつけろ。一つで十分な事もあれば、百個出しても足りないかもしれない。問題はお前が書けるかどうかって事だ。

次にお前は読者の気持ちになって、自分のプロットと向き合って見ろ。読者のレベルを調整して、いろんなツッコミを入れさせてみろ。
いいか、読者のレベルっていうのにはいろいろある。細かい誤字脱字、表記揺れなんかを指摘するタイプの読者もいれば、単に好き嫌いを言ってくる奴がいる。また、物語が破綻しているかどうかを極度に気にする奴もいる。
だが、創作するにあたり、一番有用な読者は、先を促してくる奴だ。そいつは読者でありながら、創造的で、時に物語を予想しなかった所へ連れて行く。「次はどうなる」「もしかして、こういう展開か?」
いろんな読者を用意しておけ。おまえ自身の中にいる読者を意識しろ。それが学ぶと言うことだ。

 

今日もしゃべりすぎた。お前が書けなくなったら、また会おう。