書きたいけど書けないやつのための物語講座

俺はしゃべりすぎるから、全部読まなくていい。お前が書けると思ったら、すぐ読むのをやめて、書け

小説講座 物語の始め方

俺が構成について教えるのに消極的な理由は、小説を書くのに、大して役に立たないと考えているからだ。構成を学ぶのは物語を研究するのに役立つ。また、作り上げた物語を整えたり、欠陥を浮き彫りにするのに使う。
だが、物語の初心者というのは得てして物語の法則やテンプレート的な構造を探してしまう物なのかもしれない。そういう意味で、構成は役に立たない。
一方で、小説の書き方を教えようとした時、構成の話をするのが一番手っ取り早い。
物語の構成を、人間の生活に例えてみよう。つまり、大抵の人間は、朝起きて、昼働いて、夜寝る。これが構成だという事もできるはずだ。そうでない人間が一定数いる事も確かだが、大体の人間はこのような生活リズムをとっている。

 

小説の構成とは、実は小説だけに当てはまらない。
人生は~~に似ている、という言葉を聞いた事があるだろう。結局、人間は自分の目で見て、自分の経験でそれを理解するから、すべての事を人間的に解釈する。

 

俺が人生を朝、昼、夜で分けた時、どう思った? 大抵の人間は、おそらく素直に読み飛ばしたと思う。一方で、自分の人生を小説にしようと考えた事があるやつは、苦い思いをしたかもしれない。
ともかくお前は、俺の言葉につられて、自分の人生を小説の形に変換してみようと考えた。

 

お前は常識的な人間であるから、お前の一日を小説の形に変換しても、つまらない。だが、勘違いしないで欲しい。常識的で面白くない小説が書けない奴は、面白い小説を書く事もできないのだ。
お前は朝起きる。家族と一緒に暮らしてるか? 食事は別々に取るかもしれない。誰かが朝食を用意してくれているとしたら、それは幸福な事だ。
お前は仕事に出るため、家を出た。何事もない朝。車に乗り、おおよそ十五分走らせる。
人生は一瞬で変わる。それは大きな爆発だった。地面がたわみ、車のコントロールが利かない。ブレーキを踏むが、ダメだ。ハンドルを左右に操り、なんとか対向車ともぶつからず、停車できた。
お前は車から降りる。空を見上げると、大きな煙が吹き上がっていた。周囲を見渡すと、カメラを構える人間が二、三人居る。お前は急に不安を覚え、車に急いで乗り込み即座に発進させた。
このまま職場に向かうか? おそらく家族は大丈夫だろう。しかし、お前は車を反転させ、自宅に戻ろうとする。

 

一旦物語を止めよう。まだ、もう少し朝は続く。朝から昼に移り変わる瞬間というのは、物語において重要なのだ。だが、朝の始まりをおろそかにしてはいけない。

物語とは何か、お前の考えを言ってみろ。
たとえば、なかなか欲しい物が手に入らないキャラクターが居る、とか、葛藤し成長するキャラクターの変化の軌跡であるとか、色々あると思う。

 

物語の始まりにおいて重要なのは主人公の紹介だ。できるだけ自然な形で表現するのがいいだろう。今回の物語において、主人公は出勤中事故に遭遇し、仕事よりも家族の安全を優先した。
読者は、常に主人公の行動を評価する。時に好き勝手な事を言う。やれ、こういう時には安全な場所に移動するべき、職場への連絡が最優先、事故があった時家族を最優先する気持ちは分かる、とか。読むのを止めてしまうかどうかは、読者次第ではあるが、ある程度予想しておいた方がいいだろう。

 

予想通りの事が、予想通りに起きたらがっかりだ。
朝起きて、昼働いて、夜寝る小説は、純文学的な芸術で、そんな人生を自分が送るならいいが、他人が送っていると知っても、面白い物ではない。
物語は、時に爆発と共に始まる。主人公は常識的な世界に戻ろうと行動する。ひいては、家族さえ無事であればいい。少なくとも、この主人公はそう考えたらしい。車の制御が利かなくなる程の事故に遭遇したのだ。職場には納得してもらえるだろう。
読者はこの先何が起こるか想像する。もし、何事もなく家に到着し、家族に呆れられ、仕事に出勤して、帰って寝るとしたら、それが理想であるにしても、がっかりだ。
退屈なのは、娯楽小説において、唯一絶対のタブーだ。

 

お前は事故に遭遇し、職場に向かう道をUターンして家に戻ろうとした。
しかし、なんらかの理由で家にたどり着けない。
どんな理由で家にたどり着けないと思う?
物語で最初の山場だ。多くの物語で一番個性が出る場所であり、読者にコンセプトを提示するのは、多くの場合、ここになる。ここで提示される障害が大きければ大きい程、読者の期待が高まる。読者に「そこまでするのか!」と思わせたら、その時点で小説として、成功していると言っていいかもしれない。
映画では上映時間が大体決まっているから、この地点が何時なのかは厳密に決まっている。ここが大体四分の一より手前だ。ここで主人公が遭遇する、大きな事件の後、主人公が決断し、なんとか危機を乗り越え、一息つける地点に到達するのが、百二十分の映画なら、三十分の地点だ。

 

主人公が家に帰る途中の障害には、色々考えられる。
いくつか例を上げれば、移動中「怪我をして動けなくなっている人がいる」とか、「道がバリケードで封鎖されていて、車を止めたら特殊部隊に居るような連中が飛び出してくる」とか、「ゾンビと遭遇する」とか。

 

ここで起きる出来事は無数に考える事ができる。一つコツを教えてやろう。すべてを語らない、という事だ。
読者に何が起きたのか説明してはいけない。読者が理解するのは、何か事件が起きて、このままでは家族と合流する事はできず、それに対してどうするか、決断しなくてはいけない、という事だ。
もし、特殊部隊なんかが出てきたとする。工場でどのような事件が起きて、そいつらがなぜ主人公を引き留めているのか分かったら、好奇心が満たされてしまう危険性がある。
家族が無事か、その疑問は解決されていないので、まだ、物語を引っ張る事はできる。だが、もし主人公がその組織と戦う話を書きたいなら、組織の秘密は切り札を切るように、戦略的に配置しなくてはならない。もちろん、その先にさらなる謎を用意しているのなら、何が起きたのかすべて話してしまってもいい。

 

主人公に危機感を設定しておくと、物語を進めやすい。家族に危機が迫っていると知ったら、職場への連絡なんか後回しでいい事は明確だ。
すべてのキャラクターには欲求を持たせておくべきだが、特に主人公には、今すぐに解決するべき問題が必要だ。
決断するのって難しいだろ? 進路を決めるのは簡単だったか? 将来何になるのか、迷った事はないか? 正解なんてない。未来はだれにも分からない。難しい決断だ。なぜお前はそれを決断できた? 時期が迫り、間違っていても決めなければもっと悪くなる事が明白で、つまり、今すぐそれを決断する事が求められたからだ。
とりあえずで進路を決めた奴もいるだろう。だが、実際その進路に進む事は、決断するよりずっと容易だ。決断する事は、行動するよりも難しい。自分自身から学べ。

 

人生で言えば朝から昼に変わる地点。脚本の世界ではプロットポイント1とか契機事件とか、戸口の通過とか、いろいろ呼び方がある。
日常で平穏に暮らしていた主人公は、とある事件から異常な世界に入り込む。日常に戻ろうとするのだが、それが容易で無い事が分かる。主人公はあれこれ悩みつつ行動し、そして決断する。より異常な世界へと、自らの足で踏み込む。作者が真に悩むべきは、読者にどうやってそれを納得させるか、という事だ。

 

また、この瞬間に起きる出来事は、やはり日常から異常な世界に入っていくのだが、常に悪い事とは限らない。
家路を急ぐ主人公が目にしたのは……道を塞ぐ石。それ撤去しようとしたのだが、それは金塊である事に気付いたかもしれない。あるいは、助けを求める人は大変な美女で、そこからラブロマンスが始まるのかもしれない。お前の車の助手席に乗り込んだ特殊部隊っぽい男が「早く車を走らせろ」と言って銃を乱射し、近づいてきたゾンビから守ってくれるのかもしれない。
お前の懐に突然十億円とかそういう大金が舞い込んだとする。お前が百億長者であるとすれば話は別だが、お前の生活が必ずしも良くなるとは限らない事は明白だ。何も持たず何かを手に入れようとする人生は幸せかもしれない。すべてを手に入れて失うだけの人生は不幸かもしれない。

 

お前が物語の終わらせ方で悩んでいるとすれば、そもそも、物語の始め方が間違っているからかもしれない。
ものすごいエネルギーでもって物語を始められたなら、大抵の障害を打ち破る事ができる。つまり、障害をいくらでも用意する事ができるから、どこまでも物語を進める事ができる。

 

そのようなエネルギーは、あるいは一般的に正義として扱われる感情であるとは限らない。例えば個人的な憎しみであるとか、政治に対する怒りであるとか、あるいは一般的に受け入れがたい強欲であるのかもしれない。
お前が一番熱く語れる物を探せ。物語の中核にそれを打ち込め。
ただし、小説を書く行為は、他人に読ませる事を目標にする限り、単なる欲望のはけ口にしてはいけない。小説とはそのエネルギーを、そうとは分からないようにしつつ、読者を説得するものなのだ。

 

世の中の多くは「慣れればできる」ようになる。
料理が下手な奴は、準備の時点で失敗している事が多い。まず材料を準備する事に苦戦し、重量を計る事に苦戦し、適切な大きさにカットする事に苦戦し、火にかける時に苦戦し、どこまで火を通すかに戸惑い、材料が足りない事に気づき……料理が面倒になって作るのを止めてしまう。出来合いのもので十分だ、となる。
料理に慣れている奴は違う。まず全体の流れを頭に入れる事から始める。それに、重要な部分と失敗していい部分も理解しているので、力加減もばっちりだ。それに、作業時間も把握しているから、オーブンに入れる合間に掃除すら済ませる。

 

結局慣れなのだ。小説が書けない奴の少なくない割合が、まだ小説を書くという行為自体に慣れていないだけなのかもしれない。
お前の努力が足りていないっていう事を言いたいんじゃない。今は上手に書けないと思っていても、そのうち努力は報われる。その、そのうちがいつになるかは分からない。何十年後になるかは分からない。
だが、人間は思った通りの人物になるらしい。努力しても報われないと考えていたら、きっと努力しても報われない人間になる事ができる。

 

今日もしゃべりすぎた。また書けなくなったら会おう。