書きたいけど書けないやつのための物語講座

俺はしゃべりすぎるから、全部読まなくていい。お前が書けると思ったら、すぐ読むのをやめて、書け

小説講座 真の宿敵

俺が知る限り、大抵の人間が最終的に行き着くのは「死」だ。だけれど死を目標にして生きてる奴なんてのは、よほど特別な境遇にいるか、友達がいないかの二択だ。それでも、最終的に行き着く場所は同じだと言える。多くの物語が死を連想させるのは、誰もが無意識に戦っている最強の敵だからだ。人によっては、命がけでない物語は無価値だなんて言う奴も居る。また、死に近づくような経験が、逆に生をもっとも実感させる出来事であるとも言えそうだ。

 

俺が物語で最も重要だと思うのはバランスだ。俺の場合はコンセプト、テーマ、キャラクターの三つで調整する。複雑でよく分からない物でも、三つに分ける事によって、単純になり、分かりやすくなる事がある。

 

死を扱うテーマに、普通の男が出てくる作品なら、コンセプトをどこに置くかで、物語全体のバランスを取り、微調整する。
コンセプトとは、例えば物語の舞台だ。無人島とか、ゾンビあふれるスーパーマーケットとか。
舞台を遊園地、テーマを死として、キャラクターを調整する事もできる。遊園地に死はふさわしくない。だからこそ、物語にしやすい。例えば大災害が起きるとか。その状況に一般人を放り込むか、元特殊部隊のエリートを放り込むかで、きっと何かが変わるはずだ。
物語の可変域は無限だ。お前の物語は無限に変化し続ける事を学べ。だが、今日するのはその話ではない。

 

キャラクターとは何か。作者はそれをよく知っておかなければならない。それについて、誰よりも詳しくなければならない。では、どこまで知って居なければならないのだろうか? それは誰にも分からない。だが基準は簡単だ。それで物語が書けるか書けないかだ。お前が物語を書けないでいるのは、キャラクターについて知らないからかもしれない。

 

具体的に見ていこう。そもそも、お前は自分自身についてどれくらい知っている?
自分とは何か、という問いかけは殆ど一瞬でお前を哲学的境地へと連れていく。考えれば考えるほど分からなくなるものだ。人間とは常に成長変化するものだし、大きな変化を遂げたと思っても、客観的にみれば大した事では無い事が殆どだったりする。
普段は大抵こういう人間だ、と言う事はできるかもしれない。一方で、何らかの災害時など、追いつめられた時に見せる姿こそ、真の姿だと言う事もできそうだ。普段は軽率な行動ばかりする人間が、災害が起きた時には率先して人助けをしていたとしたら、お前はそいつをどう見る?
人間の評価は人によって違う。例えば過去に悪いことをしていた奴は、今になって普通の事をしただけなのに過剰評価される、というような話を聞いた事がある。それだって表面上の話だ。人間は滅多に変わったりしないと思っていれば、第一印象として危険な人物であると思われていて、刺激しないようにしているだけかもしれない。

 

表面上の印象、というのを考える事ができる。それは現在の姿だ。
そいつの過去に目をむければ、そいつの現在にいたるまでのバックボーンを見る事ができるかもしれない。描かれる事が無くても、それは確実に存在している。一見明るいキャラクターだが、実は暗い過去があったりする。
一方、物語が進むと、そいつの真の姿が見えてくる。余裕がある時には人助けもできるだろう。だが追いつめられた時に見せる姿がある。
同じく災害が起きた時、家族を飢え死にさせないために、主人公が罪の無い人間を殺すとしたらどうだろう。そこに正義などありはしない。だが、主人公の真の姿が見える。
その姿を浮き彫りにする概念こそ、真の宿敵なのだ。それは「災害」や「空腹」でも「恋のライバル」とかでもあり得る。

 

現実は複雑怪奇。その一面を切り取り説明する事はできるが、すべての事は説明できない。できたとしても、到底納得できるものではない。人間は論理的に考え、現実もそのように理解したい生き物だが、実体はそうではない。
お前が自分というものが分からず悩んでいるなら、心配はいらない。自信満々に自己矛盾するといい。
しかし、現実で曖昧にしている部分をあやふやにしていては、何を言いたいのか不明瞭な物語しか書けない。
ゆえに、テーマが必要だ。物語のテーマを定めてしまう事で、多面的な人間を、そのうち一面だけを写しだし、その人間の本質を浮き彫りにできる。

 

「正義」というテーマで物語を書こうとする者は多いように思う。勧善懲悪の話は無数に存在するし、物語の筋も分かりやすい。
お前は正義の主人公というキャラクターを描いた事があるのかもしれない。そいつがどういう性格で、慕ってくれる仲間が居て、本人にその気は無いのにモテたりするのかもしれない。
そしてそのうち気づくだろう。正義のヒーローに必要なのは悪役なのだと。ヒーローが皆から慕われるのは、悪意ある敵から無料で守ってくれるからだ。

正義を書きたいなら悪を書かなければならない。
例えば盗賊やならず者を思いついたとしよう。主人公にそれだけの能力があるならば、そいつらを痛めつける事はたやすい。
物語を続けるために、さらに強力な盗賊の親玉なんかを出す手段が考えられる。しかし、終わらせ方を考えず、たださっきよりかは強い敵を生み出したのだとすれば、良い選択とは言えない。少なくとも俺ならやらない手段だ。

 

テーマは複雑な物事の一面を切り取ると言った。しかし、物語はテーマを多角的に表現する物だ。
つまり、一つの悪を見せたら、別の方向からさらに違う悪を見せなければならない。ならず者に対処できない警察機構的な存在に切り込むのもいいだろう。そもそも、悪漢を生み出した政府に悪を見るのかもしれない。いいや、法を越えて力を公使した主人公も悪と呼べるのかもしれない。
敵とは、何も「悪者」の事だけではない。敵とは主人公の本質を浮き彫りにする障害の事だ。
単純な恋愛物の物語を考えてみよう。主人公の敵は誰だ?
もっとも単純な敵は、恋のライバルかもしれない。男が二人女一人の状況で争うのは実に簡単に思える。男が二人いるのだから、その二人を対比するのはたやすい。

 

竹取り物語のかぐや姫の話でもしてみるか。かぐや姫の敵はどこに居るだろう。今回は恋愛の話に絞り、つまり五つの難題の話だ。
成人の宴の後で、かぐや姫の噂を聞きつけた男達の中で最後まで残ったのは五人。見たことの無い幻の美人のために何日も通い詰める。最初の難関は、まずかぐや姫には、この五人に会う気が無いという事だ。
竹取りじいさんは、五人の熱意におされ、かぐや姫に会ってみたらどうか聞く。ところが、そもそもこのかぐや姫は、いまいち結婚についてよく分かっていないし、それに興味もなさそうだ。これが、第二の障害。顔すら合わせていないが、単に出会うだけでは足りないのだ。

 

また、かぐや姫の視点から考える事ができる。彼女としては、そのような話に興味は無い。だが、じいさんとばあさんには迷惑をかけたくない。
かぐや姫は彼らを追い払いたい。そこで、熱意を確かめるとかで、かぐや姫が見たいと思う物を持ってこられた者とおつかえする事にする。(ちなみに平安時代の話なので、彼ら五人には正妻と側室がたぶん居て、現在の結婚とは訳が違うのを知ってる事にしてもいい)
結局彼らはことごとく失敗する。庫持の皇子は惜しかった。運が味方したようでもあるが、かぐや姫の勝利と言えるだろう。
かぐや姫のキャラクターは謎めいているが、とても知性的な事が分かる。また、後にやってくるミカドとの対決で新たな一面も明らかになる。

 

繰り返しになるが、俺の場合、物語で一番大切なのは、バランスを取る事だ。
主人公を考えるとは、その敵は誰かを考える事だ。
主人公が力の強い人間であるとしたなら、その敵はなんだろうか。例えば、重たいバーベルであると考える事ができる。百キロのバーベルを持ち上げられたら、そいつはそこそこ力持ちだ。
あるいは、力持ちゆえの放漫さが敵かもしれない。主人公より力の弱い人間が登場したとする。そいつが主人公に意地悪な事をした。主人公が自分より力の弱い奴を、力でねじ伏せても何にもならない。だが、その意地悪を引き起こしたのは自分の放漫さだと認めて、より謙虚な心を手にいれたとしたら、それは主人公の成長であり変化だ。その結果意地悪な奴を味方に引き入れる事ができたなら……あるいは、意地悪な奴は意地悪な奴なので、更なる悪事を引き起こし、取り返しのつかない事になるかもしれない。その時主人公は、本当の敵を知り、戦う事になるのかもしれない。

 

主人公と敵。勝ちと負け。死と生。
この両極を考えるのは実に役に立つ。だが、そうして考えられた物語は単調な繰り返しになりやすい。バランスを取る事を考えろ。三つ目の要素を考えろ。
主人公と敵、そして、真の宿敵だ。その物語が何について語られているかを学べ。

 

複雑にどこまでも細かく考えろ。そして、真の宿敵を見つけたなら、シンプルに分かりやすくまとめろ。
俺は生死をかけた戦いが必要だとは言わない。必要なのはバランスだ。だが、死がそぐわない物語だからこそ、死を考える事で、バランスが取れる事もある。

 

例えば、お前はピーターラビットを読んだ事があるか? 無いなら無いでいい。
二足歩行するかわいらしいウサギのイラスト。その二段落目の文章に俺は衝撃を受けた。母の口から語られる衝撃の真実。「お前の父親はパイにされて食われた。だから人間の所に行ってはけない」その事実は子供にとって受け入れがたい事実ではないか?
だが、母親がパンを買いに家を出た時、主人公は父を殺した人間の元に行くのだ……キャベツとニンジンを食べに。満腹になって、パセリを探そうと畑を歩く最中、おじいさんに見つかる。そこから先は追いかけっこだ。子供の他愛ないいたずら。しかし、捕まれば命は無い。おじいさんもウサギも必死だ。

 

本当に面白い物語は、作者すら知らない世界に読者を導く。お前が直視しなくてはいけないのは、お前が世界でもっとも忌避する出来事かもしれない。とてもではないが、そうする気にならない。だが、もしお前がそれを乗り越える事ができなたら、あるいはそれを恐れる心こそ、お前の真の宿敵だったのかもしれない。

 

今日もしゃべりすぎた。書けなくなったらまた会おう。