書きたいけど書けないやつのための物語講座

俺はしゃべりすぎるから、全部読まなくていい。お前が書けると思ったら、すぐ読むのをやめて、書け

小説講座 物語を書くのに必要な3つの事

物語において最も大切な要素は三つある。何とは言わないし、それは誰にも分からないのだ。しかし、一つでは多すぎるし、二つでは少なすぎる。

 

一つの事だけを語るのは盲目的に過ぎる。強すぎる愛情は他の全てを排除してしまう。博愛精神を持てとは言わない。だが、綺麗な水も流れが無ければ腐る。変化が必要だ。よいと思う変化を実感する時、人は成長したと考える。

 

正義という物を語る時、それだけで一体何がどこまで語れるだろうか。軍事政権のプロパガンダですら悪を必要とする。光があればどこかに影ができるような話。
正義を表現するのに悪が必要であるとする。だが、常に正義が勝つようでは面白く無い。楽に勝てると思われてしまっては金も集まらない。自国は強いのだと思わせつつ、敵も強大であると思わせなければならない。
かといって悪を勝たせるわけにはいかない。そこで物語を細分化し、部分的には悪に花を持たせて、最終的には正義が勝つ物語を考える。
しかし、そのような物語には欠陥がある。

 

恋愛にも同じ事が言える。二人の登場人物が結ばれる話を考えた時に同じ事が起こる。二人がすぐに結ばれてしまっては物語が終わってしまう。そこで、二人の間に障害を配置する。
ところが、その障害によってプラスの要素「二人は結ばれる」とマイナスの要素「二人は結ばれない」の二つを行き来するだけならば、物語を終わらせる事ができない。

 

物語とは変化を表現する物である。光があれば影があるのは当然の話。「光が優勢である」「影が優勢である」という話をいくら続けても、何にもならない。一つの物があれば対立する概念は常に存在している。
物語には変化が必要であり、光と影を変化させる物は、光を遮断する障害物である。物語とは遮蔽物の話であり、遮蔽物のあり方が、光と影の形を変える。

遮蔽物とは主人公であるとも言えそうだ。登場人物の一人が食うに困り、パンを盗む。お前はそこで光と影を見る。死という状況は0点だ。0という数字は人を狂わせる。0と対比されれば何もかもがプラスになる。空腹が過ぎれば盗みも仕方が無い。
主人公は逃げ延びるが、その先でさらに貧しい人と出会う。盗まねば死ぬ状況は最低だが、盗みすらできない状況は更にマイナスである。それを自然の摂理と言う事はできそうだ。しかし、光と影は揺らぐ。主人公が貧しい人を見て見ぬふりをするか、あるいはパンを譲るかによって、主人公の価値観が大きく揺らぐ。

 

「パンを盗む」「パンを譲る」
二つの点が線で結ばれ線になる。主人公が次の盗みを行い、空腹を満たすとすれば、それが三つ目であり、物語はおしまいだ。物語として成立しないわけじゃない。だが、三点目が他の二点と容易に線で結べる場所にあっては、物語は続けられない。

三点目には飛躍が許される。この三つ目は物語のコンセプトになりうる。最初の平坦な二つは、この三つ目を支える為だけにあるとも言える。
最初の二点は足場になる。優れた物語は地に足がついている物だ。そして、三点目は思いも寄らない場所に連れていく。

 

最初の二点は無難な物にしておくべきだと思う。
一方で、お前は衝撃的な始まり方をする物語をいくつも知っているはずだ。実際にそのような始まり方が最良の物語はいくつもある。
それでも、物語の基礎は変わらない。どんな奇抜な始まり方をしても、結局は日常を描く事になる。奇抜な展開が二点続いたとしても、そこには変化という物がなく、すなわち奇抜に見える日常の二点で、次の展開は「もの凄く奇抜」であるか、あるいは常識的なところに進む物かもしれない。

 

日常の二点を描き、次に飛躍した三点目を描く。
すると、なんともいびつな三角形ができあがる。その三角形は歪な形をしていて、バランスが悪い。その三角形が倒れるのを想像しろ。左側に傾いて斜辺が底辺になるかもしれない。あるいは奥側に倒れて三角形の底面ができあがるかもしれない。さっきよりも安定しているのが望ましい。物語に新たな秩序が生まれる。
お前は新たな秩序で物語を終えてもいいし、次の一点を描き、更に次の三点目を書いてもいい。

 

パンを自分より貧しい人に譲ってしまった主人公の話に戻る。それは日常の二点目だった。
三点目は奇抜に行こう。例えば美人の女性に出会い一目惚れするなんてのがいいのかも知れない。知り合い方はどうでもよい。だが、最初の二点で主人公の人の良さを伝えているのだから、それほど選択肢は無い。トラブルに巻き込まれた女性を助け出すっていうのがいいだろう。
主人公がその女性を助け出した事で物語は新たな秩序を獲得する。そこで物語を終える事もできる。しかし、新たな事実が明らかになる。その美人の女性は一国の姫様だったのだ。主人公は誘拐の容疑で捕まってしまう。
次の一点はどうなるだろう。怪しい老人が助けに来て「願い事を叶えるランプを持ってきてくれ」と依頼を持ってくるのかもしれない。そうすれば……このサンプルプロットの元ネタが、ディズニー版のアラジンだって分かるかもしれない。

 

アラジンを見て学べとは言わない。俺も見た事がないからな。しかし、今回は3にまつわる話だったのでうろ覚えながら、伝え聞いたあらすじを思い出してみた。
物語に限らず、全ての物には共通の構造がある。人によってそれは4だったり13だったりするが、自分の理解しやすい物がいいだろう。俺にとっては3だ。

 

時間について考えてみても、現在を基準に過去と未来がある。
ところで、物語というのは基本的に過去を語るものだ。今、その瞬間を語るというのは結構特殊な技術だ。レースの実況などで、部分的に同時という事はあっても、基本的にはせいぜい直後の事だ。
過去に起きた事を現在形で語る事は簡単だ。意識しなければの話だが、日常的にやっているはずだ。また、過去で未来の話をする事もできる。
「昨日の話だけれど、君との電話中にインターフォンがなってさ。友人との約束があったから、それだと思ったんだけれど、扉を開けたら配達でさ、それで……」

 

あるいは、等身大のキャラクターという物を考える事ができるかもしれない。普通の学生、というキャラクターは、共感を得やすいキャラクターと言えるだろう。そのキャラクターのやる事は常識の範囲を越える事は無い。事件が起きるまでは。
一方で、読者が憧れるキャラクターが居る。スーパーヒーローやミステリの探偵役など、作中で成長する事の無い人物。あるいは常識を越えた困難を乗り越えるような人物。
そして、同情を集めやすいキャラクターが居る。親からはぐれてしまった子供。理不尽な差別に苦しむ者。何らかのハンデキャップを負ってしまった者。
共感、憧れ、同情。キャラクターを分けるのは当然、その三つだけではない。だが、何について話しても、三つに分けられるし、真逆の意見を言う事はできても、三つの答えには反論し辛い。

 

物語は常に変化が求められる。登場人物全てに求める物があり、特に主人公は何かを求めて常に行動しているのが望ましい。
一方で、人は変化を恐れる生き物だ。辛い人生を生きていて、より良い生活を得たいと思っていても、実際に行動するのは恐ろしい。それが良い結果を招くとは限らないし、そもそも、良い変化すら恐れる事も自然な事なのだ。
人が物語を求めるのは逃避のためなのかもしれない。俺には何とも言えない小説が求められている時代なのかもしれない。
それでも人は変化を続ける。故に物語も変化する。お前自身もそうだ。その変化で痛い目を見る事もあるし、あるいはそれを成長と呼ぶ事もある。

変化を認めろ。それは自分自身を肯定する事でもある。自分が書きたい事を信じろ。

 

今日も喋りすぎた。また書けなくなったら会おう。