書きたいけど書けないやつのための物語講座

俺はしゃべりすぎるから、全部読まなくていい。お前が書けると思ったら、すぐ読むのをやめて、書け

小説講座 テーマを学ばなくても小説はかけるが、


テーマについて学ばなくても、小説は書ける。

それはある程度の真実を含んでいる。逆にテーマを煮詰め過ぎてしまうと、文の中からそいつは染みだし、せっかく物語に没入しているというのに、作者の顔がうっすら透けて見えるようで、台無しにしてしまう事もある。
物語のテーマについて悩んで、書くのが遅れるくらいならば、テーマなんて忘れてしまえ。

 

だが、それでもいずれ、テーマについて考えなければならない時が来る。それは読者に「何を言いたいのか分からない」と言われた時かもしれない。
一応言っておくが「何が起きているのか分からない」は文章の問題だ。それは大抵「もっと詳しく書け」という意味ではないと思う。俺は文章術のスペシャリストでは無いのでよい解決策は分からないが、大抵の事は慣れればなんとかなる。だから、どうしたらいいか聞くより、ごちゃごちゃした部分は全部捨てて、またたくさん書いたらいいと思う。話がそれた。


俺が言いたいのは、取捨選択の話だ。その物語は何を書くべきで、何を書かないでおくべきか。

俺は登場人物がブレるのは一番やっちゃいけない、というアドバイスを聞いた事がある。俺はそれに否と答える。
高級料理店でハンバーガーを出すような話。
逆張りやろうめ。話題作りだなとお前は思うかもしれない。だが、友人に誘われて食べてみると、確かにうまい。お前は友人に話す。この店のコンセプトは高級料理を出すだが、テーマはうまい飯なら枠組みにこだわらなくてもいい、だな。
つまり、うまければいい。そう考えないヤツもいるだろうが。俺はそう思う。
同じ事だ。おもしろければ、キャラクターはブレてもいい。
ただし、キャラクターがブレるなら、必ずそこにはテーマが生まれる。テーマは、作品の中で一貫していなくてはならない。複数の矛盾したテーマがあると、読者はそれが理解できず、混乱し、何が言いたいのか分からないと言う。

 

例えば読者がその作品のテーマに「勧善懲悪」があると考えている作品を想像して欲しい。
正義感に溢れる主人公が、もし窃盗をしたなら。
もし、こいつが財布を忘れて取りに行くのを面倒がってコンビニで盗みをやり、何の罰も受けないで日常に戻っていくなら、そこには違和感しか無いはずだ。作者にしか分からない意図があるのかもしれない。「この物語は勧善懲悪の話ではない」とか。だが、読者は裏切られた気持ちになる。
もし、逃げる悪人を追うためにバイクを盗んだならどうだろう。悪人がどれほどの罪を負っているかにもよるかもしれない。また、犯人を追うために罪を犯す事から逃げたならば、それはさらに大きな罪を背負う事になる、と考える事ができるかもしれない。これは、うまく機能しているならばテーマを深めてくれる試みだ。
もし、主人公が後でバイクを盗んだ罰を受けるようならば「絶対正義と絶対悪の戦い」がテーマで無い事は明らかだ。
もしも主人公が悪を倒すため、無実の市民を虐殺し、その後世界から讃えられる物語があったとしたら、それは「絶対正義と絶対悪の戦い」がテーマかもしれない。


つまり、物語としてキャラクターがしてはいけない行動なんて無いんじゃないかと俺は考えている。だけど、もしお前がお前の作品を呼んだ読者をスカっとさせたいなら、読者を裏切らないように配慮した方がいいと、思う。
テーマについて学んでおくと、そういううっかりを減らす事ができる。お前が決めたテーマにそぐわないシーンは、消してしまえ。
でも、コンセプトと違って、テーマは書いているうちに変えたくなってしまう。俺は結構忘れる。文章を消そうか迷うとき、テーマの方を変えてしまう事もある……よくない事なのかもしれないが、それでも小説は書ける。

 

テーマとは作者の言いたい事だから、当然テーマを先に思いついて、物語を書こうと思ったお前もいるはずだ。
物語というのを、すごく曖昧に考えれば、Twitterに投稿される一文は、テーマ性が如実にあらわれた、ごく短い物語と言えるかもしれない。(Twitter小説は小説だから、俺はその話はしてない)お前はその一文に物語を感じて、それを形にしてみてもいい。
ただし、お前は物語の中でそのテーマを直接言葉にしてはいけない。別に直接書いたって構わないが、読者はそれをテーマと認めないだろう。


ある日、お前はゴミのポイ捨てに憤りを覚えて立ち上がり、物語を書くのかもしれない。お前は「ポイ捨てをしてはいけない」をテーマにした。お前はポイ捨てがどれほどの罪であるのか、読者に伝えたい。
お前の物語に出てきたキャラクターがポイ捨てをした。これを見逃してはお前のテーマは破綻する。お前はそう考えた。主人公かは知らないが、誰かが言い咎める。「ポイ捨てしてはいけない」ポイ捨てしたヤツは謝罪する。


お前はこの茶番のテーマを何と考えただろうか。「日常の場面」とか「ポイ捨てはこの程度で許される」とかならまだしも「うわ、作者が出てきた」と思われたらおそらく、お前の物語はその先まともに読んでもらえない。
テーマは物語を書く上で役に立つが、それを文面に滲むまで強くしてしまうと、猛毒のように物語全体を蝕んでしまうかもしれない。

 

テーマを伝えたいならばそれをさりげなく、分からないように書くのがいい。
物語の最初、男はポイ捨てする。さりげなく。道ばたにタバコの吸い殻を落とす。読者はそいつに関心を払わない。
しかし、彼にはそれから悲劇が襲う。ポイ捨ては関係ない、偶然だ。偶然に相応しい悲劇。車に跳ねられるとか、屈強な男に恐喝されるとか。
物語は進む。テーマは物語にあらわれない方がいいので、ここではコンセプトやキャラクターの力が必要になってくる。タバコとは無関係の悲劇と逃げたり戦ったりする男の物語。
物語の終わりで男がどうなるかは分からない。仮に逃げ延びたとしよう。手に入れた物は実体が無く、ただ命だけは助かった。少し成長したのかもしれない……男は自分が捨てた吸い殻を拾い、おまけにもう一つ拾う。男は平和な日常に戻る。


俺ならそんな物語は書かないが、それがおもしろかったとしよう。読者は考えるかもしれない。「男はなんであんな悲劇に見舞われる事になったのだろう。いいや、悲劇とは突然何の罪も無いのにやってくるものかもしれない。しいて言うならポイ捨てした事がトリガーになっていたのかもな」これは一つの読者の反応として、理想なのかもしれない。


他にもテーマを見せるやり方はたくさんある。
テーマに限った話ではないが、聞いてる方は馬鹿じゃないので、その話には裏があるんじゃないかなって考えてる。だから、主人公が言うことより、言わなかった事の方が注目される事もある。

 

テーマについて学ばなくても、お前は小説を書く事ができる。
しかし、お前が小説を書くなら、そこには必ずテーマが生まれている。そいつは思わぬ祝福を受けるかもしれないし、忌み子として呪われているかもしれない。テーマを学べば、言われ無き作品を救ってやる事ができるかもしれない。
登場人物が決断・行動すればそこにはテーマが生まれる。しかし、テーマを確定させるのは物語のラストだ。


お前がもし、物語を終わらせる事ができずに悩んでいるならば、テーマを学ぶ事でその物語を終わらせる事ができるかもしれない。
テーマを学べ。それはインターネットで検索しても、答えは出てこない。テーマはお前の中だけにあり、お前が伝えたい事であり、俺がそいつをお前に教えた瞬間、お前のテーマは姿を変える……そういうものだ。
お前自身の物語を知れ。テーマを学ぶ事は、お前の助けになる。お前がその作品で何を語りたいのか分からないなら、自分のキャラクターにでも聞いてみろ。素直に答えてくれるとは限らないが……大抵の人間は、自分が本当に何をしたいのか、よくわかっていない。

きょうも喋りすぎた。お前が書けなくなったら、また会おう。