書きたいけど書けないやつのための物語講座

俺はしゃべりすぎるから、全部読まなくていい。お前が書けると思ったら、すぐ読むのをやめて、書け

小説講座 誰にも教わることのできないコンセプトについて


お前はだれかに、まず書いてみろとか言われた事があるかもしれない。
けれども最初の一文すらかけず「それはある日のこと」とか「私は猫である」とか書いて、そこから先の文章に自信が無くなり、本を広げて、好きな作家の話の出だしを確認して……あるいはネットで解決策を探してここにたどり着く事があるのかもしれない。

 

コンセプトを学べ。そうすれば小説が書けるようになる。
こざかしいお前は、コンセプトが何の事だか知っているだろう。知っていると答えるだろう。
だが、もしそれでいて、まだ小説が書けないのだとしたら、お前はコンセプトをまだ知らないのだ。少なくとも俺のいうコンセプトを知らない。
俺はコンセプトという言葉に、そこいらの辞書に書かれているよりずっと多くの意味を乗せている。
だけれど、コンセプトについて考えられるようになれば、小説は書ける。

 

コンセプトとは小説のウリである。ひねりである。つかみである。前提である。一番おもしろい所である。まあ、定義はこのさい、どうでもいい。忘れてしまっても構わない。メモを取るなんて絶対するな。役に立たないからだ。
コンセプトはお前の脳味噌が一番反応する言葉でなければならない。俺は一文にまとめるけれど、長くても、短くてもいいと思う。でも、お前が興味を持っていることじゃなくちゃ、ダメだ。

 

コンセプトは、何でもいい。
じゃあ「とにかくかわいい女の子を書く」とか「最強の力を持った少年が世界を救う」とかはどうだろう。
もちろん構わない。問題はお前がそれにどの程度興味があるかだ。
コンセプトが決まったのに、小説ができあがってないじゃないか、とお前は言うかもしれない。
まだ小説ができあがっていないのは、お前の学びが足りないからだ。俺が教えてないからではない。

 

お前がそれをコンセプトと呼んだ瞬間、そいつは世界の全てから切断されて、お前だけの言葉になった。
お前はそれについて何でも知っていなくてはならない。お前が白だと言えば白になる。
「かわいい女の子を書く」というコンセプトを持ったなら、お前は読者に、それがなぜかわいいか、どうしてかわいいか、説得しなくてはならない。お前の小説は全て、その女の子がかわいい理由を証明する事だけに終始しなくてはいけない。
お前はどれくらいかわいい女の子について知ってるんだ?
 髪が長くて、つやつやしてて……肌は白くて、あと、胸は大きい。背は俺よりちっちゃい。あと、顔はいい。
 いいだろう。そんな女が現実に居たなら、性格は多少悪くてもモテるのかもしれない。現実の事を俺はよく知らないが。しかし、それだけでは、お前の小説は二行で終わる。料理のメインは終わり。お前がその程度にしかかわいい女の子について興味が無いなら、お前は少なくとも、そのコンセプトで小説を書く資格が無い。

 

じゃあ今から調べると、お前はインターネットでかわいい女の子の事について調べるのかもしれない。
だからお前は小説が書けないのだ。
俺はコンセプトを学べと言った。お前が学ぶべきコンセプトは、誰も教えてくれない。インターネットに書いてある言葉は他人のコンセプトが生み出した物だ。お前のじゃない。お前は以前にかわいい女の子を見たことがあって、その時は他人のコンセプトだったが、お前はそれを誰が考えたのか思い出せないので、お前の物だ。だが、あまり似すぎないように、多少は気をつけろ。
お前がコンセプトについて学ぶべき言葉は、お前の中だけにある。他人からすごく有用な言葉を聞ける事があるかもしれないが、もし、他人から説明された言葉を小説に生かせるとしたら、お前が今まで小説を書けなかった理由はなんだ? 俺の言葉を聞いたって同じだ。
お前が聞くべきは、お前自身の言葉だけだ。お前自身からコンセプトを学べ。

 

お前が書く小説に出てくるヒロインが「かわいい女の子」であると証明する手段はたくさんある。
おまえは笑っている女の子がかわいいと思うかもしれない。赤面する女の子がかわいいと思うかもしれない。普段は無口だけれど、興味のある事には早口になる所かもしれない。
お前はそういう事をたくさん知らなくてはならない。コンセプトについて学ぶとはそういう事だ。

 

だが、もうさぼり癖がついてるお前は、いくつ位出せばいいのだろうとか、アイディア一つに対して何文字くらい書けるだろうとか、考えるかもしれない。
そんな事は考えなくていい。俺はたくさん考えろと言ったが、もし最高のアイディアが一つあれば、小説一本分ならすぐ書き上がってしまうだろう。でも、最高のアイディアというのは、そうそう見つかる物じゃない。
たくさんあればある程いい。百個でも千個でも足りない時は足りないから、別に何個でもいい。お前が書けると思った瞬間、やめろ。
けれど、あえて数について言えば、必要なのは、採用したアイディアの数ではなく、却下したアイディアの数だと思う。すごくいいアイディアだと思うけれど、どうしても使い物にならなかったアイディアは、どうしても出てくる。そういう時は捨ててしまえ。

 

お前は「かわいい女の子」についてたくさん考える事ができたかもしれない。けれど、お前がそれをうまくできたならば、たぶん、もう最初に決めたコンセプトは全く別の姿に変容してしまっているはずだ。そうならない事もあるが。
俺は昨日うまい肉の話をした。俺がお前にしろと言ったのは、それを下拵えしろという話だ。よけいな部分をそぎ取って、調味料で味付けをしろと言った。
お前はそこで気付くかもしれない。「かわいい女の子」というコンセプトは、やや範囲が大きくなりすぎているぞと。お前は黒髪ロングの清楚な女の子がいかにかわいいかを証明したいのであって、もうそれ以外の女の子に興味を失っているかもしれない。もしその方が小説を書く気分を高めるなら、すぐにコンセプトを書き換えろ。その時、お前はいい肉を手に入れたのだ。
俺はゲームではなく、現実の話をしている。だから、入れ替えた後の方が悪い事もあるし、変化したら戻せない事もある。もしダメそうなら……捨ててしまえ。本当にいいアイディアなら、そいつは税務署のヤツらみたいにしつこくお前に付きまとうから、一所懸命忘れて、消化しろ。

 

もしお前が漫画家ならば、髪型を変えたり、色を変えたりするだけで、読者はそのキャラクターに注目してくれるかもしれない。だが小説家ならば、読者を困惑させるだけで終わってしまう事もあるだろう。
お前が小説家ならば、内面で勝負するべきだ。俺は、女が見た目ではなく、心の内側だという話をしているのではない。マンガはヴィジュアルの変化に強い媒体であるように、小説は内面の変化をあらわす。お前が小説を書きたいと思っているなら、コンセプトも内面についての話をするべきだ。
俺は小説で女の外面を語るべきじゃないと言ってるわけじゃない。ただ得意な物は何かの話をしている。情熱をどこに向けるかの話をしている。いいか? 小説で胸がでかいと書かれているのと、漫画ででかい胸が書かれているのは違う。小説で内面が美人に描けていれば、読者は勝手に美人で想像してくれる。

 

 コンセプトは何より重要だ。もしお前が「かわいい女の子」で書き続けているなら、男が出てきたとして、そいつは女の子のかわいさを引き立てるためだけの存在でなければならない。その男が女の子のかわいさに影響しない行動を取ったならば、もし他が完璧であればある程に、そいつの行動は異臭をはなつ。お前はこざかしいから、ワインに泥を一滴だけ混ぜる思考実験の話は知っているだろう。
そもそもお前がコンセプトについて本気で考えていたならば、余計な事を考えている暇は無いはずだ。お前はその女を笑わせたり、赤面させたり、興味ある話題を引き出したり……しなくては、ならないからだ。


 もしお前がコンセプトについて完璧に学んだなら、既に小説が書けるようになっているはずだ。
文章術も……多少必要だ。だが、お前が何を伝えたいのか理解しているならば、どうやって書くかは難しい問題では無い。俺はできるだけ簡素な文で書くべきだと思うが、お前は違うかもしれない。

 

テーマ……もし、お前がもっといい文章を書きたいと思うならば、テーマについても学ばなければならない。テーマとはお前が伝えたい事だ。言葉にしなくても読者に伝わる物だ。お前はそれを決めておかなければならないが、読者にはそのまま伝えてはいけない。
たとえば、物語のラストで女の子がキスしたとする。お前は「恋する女がいちばんかわいいのだ」というテーマをもっているかもしれないがそれを言葉にしてはいけない。読者は「誠実な恋愛は最後に報われるものだ」とテーマを受け取るかもしれない。それは、それでいい。

どうやらしゃべりすぎたようだ。気が向いたらまた書く。お前には教えたい事が、まだある。