書きたいけど書けないやつのための物語講座

俺はしゃべりすぎるから、全部読まなくていい。お前が書けると思ったら、すぐ読むのをやめて、書け

小説講座 捨てろ、諦めろ、妥協しろ


なんで未だに物語が求められているのだろう。かつての名作が電子書籍でたやすく手に入るのに、面白いのか分からない新しい物語を手に取るのはなぜだろう。あるいは料理の本とかに置き換えてもいい。料理の本は汚しやすいし、書き込みやすいとかそういう需要もあるとは思うが、そこまでする奴は読者の何割くらいなんだろうな?

 

面白さの一つは理解できるって事だ。世の中と自分の波長を合わせるチューニング作業に似ている。人は人の話を聞いて「あるある」と頷きたいし、人に話を聞いてもらって「分かる」と言ってもらいたいのだ。言語を扱う社会的動物として、納得のいく感情だと思う。
あるいは知らない世界を知りたいから、というのもある。未知な物に「すごい」とか言いたいのだ。だが、注意して欲しいのは、確かに見たことの無いものを見たいと思うのだが、それは常識の範囲での事だ。世界には考えるのもおぞましい事があるのを知っていても、知らないでいたいと思う気持ちに、お前は頷く。また、予想外であればいい訳でもない。サッカーでは何が起こるか分からないからといって、突然選手達が将棋を始めたら、お前は驚くだろう。俺はたぶん大喜びだが、純粋なサッカーファンは怒るか困惑するだろう。
小説の面白さはいくつにも分類できるが、今日するのはその話ではない。まあ、物は言いようなので自分なりの定義を考えて見ても面白いかもしれない。

 

お前はマンガのノベライズという物をやった事があるか? 小説の入門書で、マンガの1ページを見せて、それを小説の形にしてみろという課題があった。
なるほど。確かに妙案だ。そう思ったかもしれない。挑戦してみるのも悪くは無いだろう。しかし、それをうまくこなすにはかなりの知識と技術を必要とする。

たとえばサッカーについて考えてみよう。マンガではおそらく激しいアクションが期待される。ボールがどのように運ばれたのかを描写するのかもしれないし、迫力ある構図で選手が描かれ、また、それに立ち向かう者が居て、ぶつかり合う。彼らは人生をかけた攻防を行い、読者に納得のいく形で決着がつく。
たぶん、現実ではそのようなシーンは滅多にない。現実で価値のある物は、一見地味で伝わらない、僅かな戦果だ。マンガや小説では、その一瞬を無限に広げて表現する。現実ではありえないように見えて、実はやはり現実の本質を描いているのだ。
小説に直したらどうなるだろうか。マンガでは大迫力のシーンを文字でそれと同等に描くのは、ほぼ不可能だ。マンガでは目に入った瞬間にそのイメージが脳に刻まれるが、小説では読み進めるごとに、じわりとその迫力がにじみ出る。マンガは写実に現す事に長けるのに対して、小説はイメージを喚起させる。選手が風のように、素早く選手達の間をすり抜ける、等と言った描写が、マンガより迫力に欠けるかと言えば、そうではない、と思う。

物語を表現する媒体によってそれぞれ得意、不得意があって、小説が得意とするのは内面描写だ。サッカーを小説で書くなら、選手の内面の描写をピックアップする事になるだろう。サッカーの話は、これくらいにしておこう。

 

いいか、物語おいては、精確な描写よりも「面白さ」が要求される。なぜなら、リアリティにおいてマンガや小説は、現実より劣っているから、現実よりも現実を描かなければならない。現実で感じる本当に重要だと思われる感情を、現実以上に感じられるように描かなければならない。


お前は言語によるスケッチをおこなった事はあるか? キーボードを使って風景をデッサンしようという試みは、役に立たないとは言わない。お前が目に入るものすべてを文字にして表現しようという試みは、小説表現としては失敗だ。(だが、なぜダメなのか理解できれば練習としては大成功だ)
他の作品でもそうだが、小説では特に、たくさんの量を書き込むよりも、省略する事が重要になってくる。そもそもお前の目は、お前が思うようには見えていない。知っているかも知れないが、目で実際に見える風景は断片的で、脳が処理しているから、まるで広い範囲を常に認識しているように思えるのだ。

 

お前は小説を書く時、まず、何について書くかを考えるだろう。だが、実際に書く時には、何を書かないかが重要になってくる。
ただでさえ書く物が無いのに、まず削る事を考える奴がいるか、とそう聞こえてきそうだ。だが、読者は面白いと思ったところよりも、面白く無いところの方に注目してしまうものなのだ。正しいと思う事には自信を持てないが、間違いないという事には自信が持てるものだ。
伝えたい言葉は、できるだけ短く、そして濃くしなくてはいけない。
どうすればいいか。その簡単な方法の一つとして、大切じゃない部分を薄くすればいい。注目して欲しい部分に注目してもらうには、他の部分を見ないようにしてもらえばいい。

 

小説の中の一秒は、現実の一秒とは違う。
そのもっともたるは要約だ。「あれから十年の時が経った」とでも書いておけば、十年時間が経過する。マンガやアニメなら、十年で少し大人びたか老けたかする登場人物を出す事で、時間の経過を伝えられる。あるいは、建設途中のビルを描写したり、廃墟が消えて、駐車場になったり、そういう説明を入れるかもしれない。
要約されたシーンは、説明のシーンとして分類される。つまり省略の手法であり、読者に注目して欲しくないシーンだ。
それは時にぎこちなく行われる。何が起きたのかは知っておいて欲しいが、まあ、さっさと読み進めて次のシーンに移って欲しいという感じだ。時には作者が口ごもるように早口でシーンを説明しているのが見えるような時もある。だが、言ってしまえばそれすらも技巧なのだ。

現実に一秒が過ぎる間に、物語が十年進む事はざらにある。だが、逆に物語の一秒間を何時間にも引き延ばす事ができる。
先に本筋では無い方を説明しておくが、バトルマンガでよくある、戦闘中の解説なんかは話は別だ。一瞬のうちでそんな台詞入りきらないだろうとは思うが、それは一瞬で行われる。あれはどちらかというと省略の技法で、あまりクールなやり方とは言えないが、説明の要約だ。

 

いい加減に話をまとめようと思う。何を言いたいのかはタイトルにある通りだ。実際のところ、小説を書く上で意識した方がいい事なんて無限にあるし、それらを常に意識しながら書くのは不可能だし、それに、それが分かってる奴なんてこの世に存在しない。

実際に精巧なプロットを書いたつもりで、それを物語にしてみると、すごく粗が目立つ事はよくある。それは、俺の性格によるところが大きいのかもしれない。
自分の書いたキャラクターが動くのを見て、「コイツの行動は何かおかしい。確実に怪しい」そう思った時、そいつのアクションを見直して、自然に直す事もできるし、怪しくてもその部分を隠して違和感無く読者に見せる事もできるだろう。
一方で、本当にそのキャラクターを裏切らせる事ができる。怪しい行動をとっていたのは、裏切る前兆だったからだ。
お前は俺の言葉に反感を覚えるかもしれない。だってそのキャラクターは唯一の主人公の友達だ。そいつらには固く結ばれた友情があるし、それが無くなれば、物語にラストが無くなる。
まあ、反発するのも当然だ。しかし、それはただ戸惑っているだけかもしれないとも考えてみろ。オチはまた考えればいい。

迷うようなら捨ててしまえ。素晴らしいコンセプトを支えるのは、もはや書いた本人も忘れてしまった無数のボツになったアイディアなのだ。

 

物語とはより自然な形で表現されなくてはならない。その理由を今から説明する気にはなれないが、なぜそうなのか考える事は無駄にはならないはずだ。
物語は立体パズルのようで、多くの要素が絶妙なバランスで組み合わさって表現される。制作者はすべての要素に気を配る事はできず、必然的にいくつかの要素に絞り、そこを起点にして、物語を組み上げていく。その要素は、作者自身の言葉でなければ役に立たない。
また、読者も制作者の考えを精確に汲み取ろうとはしない。必ず見落としはあるし、あるいは作者にも見えなかった輝きを見つけだす。時には錯覚だったりするが、読者が面白いと考えればそれでいい。

 

お前が書く物語に正解は無い。なぜなら正解は誰にもわからないからだ。技術が上達したら解決する問題でも無さそうだ。お前のお気に入りの作家でも、最新作が常に最高だというのは、いないんじゃないか?
言葉が正しくなければならないとは限らない。正確であればあるほどいいと言うのなら、音楽とかはすべて最高の物を録音し再生すればいいという事になるし、それなら演奏も機械に任せればいい。
間違っているより間違っていない方がいいに決まっているが、それほど単純な話ではない事は、たぶんみんな気付いているのだ。
だが結局正解にはたどり着けない。捨てろ、諦めろ、妥協しろ。そうして最後に残った物が、現状正解に一番近いという事にしておけ。

 

今日もしゃべりすぎた、また書けなくなったら会おう。