書きたいけど書けないやつのための物語講座

俺はしゃべりすぎるから、全部読まなくていい。お前が書けると思ったら、すぐ読むのをやめて、書け

小説講座 まずは面白くない小説を書け


面白い小説が書けないと悩む人間は多い。だが、まず読んだ人が「何を言おうとしているのか分からない」というのは、そもそも経験不足だ。普段話している言葉と小説の言葉は別物だ。話し言葉と書き言葉の性質が違っているように、小説の文章とその他の文章ではやはり違いがある。ある程度は慣れによって改善するので、まずはたくさん書いてみる事だ。

また、普段たくさん小説を読んでいるのに、小説が書けないというのは見当違いだ。実際のところ「小説を一冊も読んだ事が無いけれど書きたい事があるやつ」の方が「普段から小説を読んでいて、それに不満を持つが故に書き始めた奴」よりうまい小説を書く事はある。
俺は圧倒的に後者だ。もの凄く面白いと思う小説を読んで、こんな小説がたくさんあればいいのにと思った。また、他の作家がそれのような作品を書かない事に不満を持ち、また俺にならできると確信した。当然、痛い目を見た。まあ、俺の事はいい。

 

そもそも、本当にお前は面白く無い小説を書けるのか? ほとんど断言するが、面白い文章しか書けない作家は存在しないのだ。いや、アウトプットを最低限にしかしない作家が居るのは知っている。だが結局暗算でやるか筆算でやるかの違いしかないのだと思っている。

たくさん小説を読んでいる奴は、料理人にたとえると、舌が肥えているやつ、と言えると思う。
料理人は必ず味見をする。なぜなら魚や野菜などの素材はその日によって重さも味も違うからだ。素材がその日によって変動しない菓子職人だって、フレッシュで使う物は味をみてから客に出す。たぶんな。
舌が悪い料理人というのは致命的だ。ただ、料理ならマシだ。なぜなら特に現代の日本は料理の素材に事欠かないからだ。魚の目利きにしたって、スーパーに並んでいる物は既に厳選された物であるから、値段を相当下回る商品を見つけるのは、たぶん、その方が難しい。塩のしょっぱさは一年を通して全く変わらないと言ってもいいし、最悪何でも「好みの問題」で片が付くレベルだ。
ただし、舌がダメな奴は、すばらしい素材を、最悪なところに持っていく事がある。既にたとえ話を長くしすぎているので、この辺で終わるが、舌に自信が無い奴は、せめて栄養面ではすばらしくしたらいいと思う。

 

よく、小説入門なんかで、たくさん本を読んで学びましょうなんて書いてある本がある。あるいはそれは正しいのかもしれない。ところで、お前は現実を見ているか? 毎日現実を見ているのなら、現実に関して上達しないのはなぜか? いくら熱心に見学していても上達しないものはある。

たくさん小説を読んでいるのに、小説が書けない奴はいる。お前はまだ読み足りないのかと思い、さらに本を読むが、お前が本を読みたいのではなく、書きたいと思っているのなら、その行為はむしろお前を不安にする。
たとえ話でしたように、本を読むとは舌に味を覚えさせる作業に似ている。そういう事もできそうだ。
お前は、自分の書いた文章をつまらないと思う。それが、読書の成果だとしたら、悲劇じゃないか。
お前に足りないのは、つまり味の調節の仕方かもしれない。

 

俺は冒頭で、本を読まない奴の方が有利な事があると言った。それがなぜかといえば、天才的な例外だからというのではなくて、小説の奥義ではなく、使える肉を持っていて、まず最初に、塩と砂糖の使い方を学ぶからだと思っている。
お前は毎日最上級の肉を食っているかもしれない。だが、それを一生続けていても、グルタミン酸の秘密に迫る事は難しい。
だが、毎日塩加減を変えているとしたら、その肉にちょうどいい塩加減は学ぶ事ができる。

 

何も学ばず、小説を書こうとする奴は、本当になにも学ばないのだろうか。いや、そんなはずはない。
そいつは伝統的な小説の構成や、驚くべき結末の類型、洗練された技巧を知らない。
いや、小説で読んだ事がなくても、アニメやマンガで知っているものだ。フランケンシュタインが怪物の名前では無い事を知っているかは問題にならない。小説とアニメとの表現の仕方の違いは、注目してもらいたいが、今日はその話ではない。

一つの着想だけ持って小説を書こうとする奴は「どれ、読者を驚かせてやるとするかな」といった、わかりやすい目標がある、かもしれない。そうでなくても、それ以外の物をどうやって書くのか知らないし、書くべきであるとも知らなかった。だから書かない。
だが、省略とは小説の奥義だ。時に何も書かない事が最高の執筆方法になり得る。
センスのあるコンセプトを一つ作りだし、そこに読者を誘導する事だけに集中する。よけいな事が書かれていないのなら、それは最高の文章だ。

素人が肉料理を焼く事を考えてみろ。
最高の肉があるなら、変に手を加えたら台無しになる。食中毒の事を考えず、噛みきれるような柔らかさであるなら、生のままが最高かもしれない。
いいか。料理は素材で決まる。最良の素材を、最良の状態に持って行き、最低限の味付けでおいしく仕上げる。
ニンジンを煮るのに技術はいらない。しかし、バターを入れる事で格段に風味を増すし、一流の職人はニンジンの最高の柔らかさを熟知している。

 

小説が面白くない奴は、最高の肉をガチガチになるまで火にかけて、最悪の着色料で飾り付けし、その上、付け合わせは生のまま、おまけに使い捨ての紙皿にのっている、なんて事がザラにある。
そんで持って、感想なんか求められた日には……おい、と思う。「まあ、肉はいい素材使ってるよ。それをもっと生かしたらいいと思うよ」なんて言いながら、手直しする。だが、相手は「やっぱりメインは目立つところに置かなきゃだめだね」なんて、飾り付けの指南を受けたと思っている。
いや、相手の反応は健全だ。俺の教え方が悪かったのかもしれない。けれど、その時は既に俺は、他人の言葉は役に立たないを座右の銘としていたし、そもそも、俺だって同じような指摘を受けた事があるし、その時の反応だって、視線をそらしながら「まあ、そういう事も、考えたけどね」みたいな事を言った気がする。つまり、俺が言いたいのはそういう事じゃない。

 

お前が書いている小説は最悪に面白く無いのかもしれない。だが、お前が思う程に、お前の書く小説は絶望的じゃない。商品価値としてはゼロに近いかもしれないが、もし、お前が本質に気づき、面白さを伝えられるようにしたら、ゼロが十になるなんて事はない。いきなり二百とかになるのだ。
変化は一瞬で起こる。だが、もしかしたら並大抵の事ではないかもしれない。
同じく創造的な趣味を持ちたいなら、小説よりも、料理の方がずっと建設的で、人を集めるし、友達も多く喜ばせるかもしれない。
人に注目されたいと思っているのに、料理をしないのは何故だ? たぶんだが、お前は小説を書くよりも、その時間全部使って、料理動画でも作った方が、人気を集める事ができると思う。他の趣味でも一緒だ。
俺に何と言われようと、お前が小説を書くのを止める事はないんじゃないかと思う。それはお前が本当に小説を書くのが好きだからか、それとも負けに負けたギャンブラーのプライドからかは知らない。
だが、お前自身の価値の伝え方は小説だけじゃない。あるいは、その選択の可能性が、小説を書く足枷になっているのかもしれない。
諦めろと言っているわけじゃない。俺が言うのはいつも同じ事だ。

 

あるいは、やり方を変えてみるだけで、物事はうまくいく事がある。よくある成功経験じゃないか。だが、いきなり一番いい方法を探そうとしちゃダメだ。それに、他人のやり方と一致する事も殆ど無いと思う。お前にぴったりあうやり方を探せ。
書く場所を変えてみるのもいい。それに、いきなり百パーセントの集中力を発揮できる人間はたぶん少ない。だから、徐々に小説を書く姿勢を整える工夫を考えてみるといい。とにかく今までやらなかったやり方を試せ。
立ったままやるとか、一人称を三人称に変えるとか、今何をやっているのか声に出してから始めるとか……とにかく、色々やってみろ。

 

今日もしゃべりすぎた。また書けなくなったら会おう。