書きたいけど書けないやつのための物語講座

俺はしゃべりすぎるから、全部読まなくていい。お前が書けると思ったら、すぐ読むのをやめて、書け

小説講座 コンセプトを学んで、お前の面白いを見つけなければいけない話


俺がコンセプトについて学べと言うのにはたくさんの理由がある。よく言われるのはマーケティングの観点で、コンセプトがしっかりしている作品は、売り込みやすく、紹介しやすいというものだ。お前はきっと書いた小説を誰かに読んでもらって、面白いって言ってもらいたいから、がんばるだけの価値がある。

 

コンセプトを学ぶと、たくさん「面白い」を作り出す事ができる。小説の中に面白いがたくさんあると、読者はお前に面白いと言う。
お前はその面白いを自分自身の中から見つけださなければいけない。ネットの中で面白いをかき集めてつなぎ合わせても面白いは生まれない。
読者はお前の面白いを読みたくて、やってくるのに、なぜ自分が面白いのか自信の無い物を見せる事ができる? お前は、お前の面白いを見つけて、自信を持たなくてはならない。読者にとっては分からないが、お前はお前の面白いに自信を持て。

他人の面白い、ではダメだ。お前が面白いと思った物は既にお前の中に消化された。お前はかつて面白いと思った事を、少しずつ忘れているから、それをそのまま話そうとしても、ぼろぼろで、理解できないので、面白くない。
お前の面白いを聞かせろ。

 

お前はYouTubeなどで、旅してるやつを見た事があるか? お前が見たとして、それを覚えていたとしたら、それは面白かったからだ。
面白い旅番組は大抵編集されていて、無駄な部分がそぎ落とされている。それを作ったヤツは「でも、視聴者が何を面白いと考えるかなんて、分かりっこ無い」とは絶対に言わない。流行の芸人が出ていれば一定数誰かが興味を持つ。観光名所を映せばまず見たことあるヤツはつい注目してしまうものだし、見たこと無いヤツでもみんなが注目していれば見てしまうものだ。それに加工しなくたって、結構お前の地元は美しい。
次にお前が今までしてきた旅行の事を思い出してみろ。それが遠い過去の話であれば、面白い記憶が出てくるかもしれない。何故なら無駄な記憶がそぎ落とされ、興味深いシーンだけが記憶に残っているからだ。
一緒に旅してきたヤツにそれを話すと笑いが起こる。それは笑いのメカニズムにもよる所があるが、お前たちは旅のコンセプトを理解しているから面白いのだ。そう言う事もできるはずだ。
だが、他人にコンセプトを理解させるには、一工夫必要かもしれない。

 

お前の小説が面白く書けていないとしたら、それはお前がつまらないシーンを書いているからだ。終始面白い旅番組があったとして、だが、現実に行われた旅は、終始面白い旅では無かったはずだ。そうでないシーンはカットしているのだから。視聴者が見たくない部分……事実、お前が旅をした事があるのなら、旅の中の退屈や、不便を知っているはずだ。

 

つまらないシーンとは面白いに直結していないシーンだ。どこが余計なシーンか、他人から指摘されて納得がいかなかった事はあるか? 納得がいかないのはお前と他人の面白いが一致していないからだ。どっちがより面白いのかは分からないが、一致していたほうが、いい。考え方の一つとして、他人はたくさん居るが、お前は一人だ。
お前が面白い小説を書きたいと思うなら、つまらないシーンは書くな。コンセプトを学べば、面白いシーンだけを書く事ができる。きっと。
お前がコンセプトの事を分かっていないのに、他人に理解させる事はたぶん、できない。

 

もしSFを書いているとして、お前はプロローグで宇宙の始まりとか、前の戦争がどうたらこうたらと書き始めたかもしれない。読者はお前がプロローグを頑張って書いたんだと思って、踏みとどまって先を読んでくれるかもしれない。STAR WARSの壮大なプロローグのように、読み飛ばすかもしれないが次のシーンに行く。だが、そこでは主人公がまだ日常のシーンを続けている……そもそも、コイツは本当に主人公なのだろうか。そのうち戦いが始まるが、なぜ戦っているんだ? これは本当に、面白いなのか?

 

読者がその先を読みたくなる小説は最高だが、始まりの地点でどこに進んでいるのか分からない小説は……難しい。
この書き方が絶対ダメと言っている訳じゃない。だが、読者が待ってくれるのは、期待感を与えてくれた場合だけだ。プロローグの時点でこれから何をするつもりなのか読者に教えたり、不条理モノだとコンセプトを教えてくれたり、そうでなければ執筆者が著名人であったり、全部読み終えたら、次は自分の作品を読んでもらう約束があったり……とか。

 

お前がつまらないシーンを書くのは、何を書いたらいいのか分からないからだ。つまり、コンセプトを学べば何を書きたいのかが分かる。だから小説を書けるようになる。
そうだな……例えば「とある惑星で大怪獣が出現し、普通の少年が立ち向かわなければならない」というコンセプトを作ったとしよう。
こざかしいお前は、「それはログラインとかプレミスと呼ばれるものだ」と言うかも知れない。だが、俺は物語の核になる物を区別したりしない。全部コンセプトで済ませる。金をくれるやつに仕事で説明するなら区別してやらんでもないが、俺はお前に言っている。

 

まず考えてみろ。普通の少年が大怪獣をどうやったら倒す事ができるのか?
まあ、無理だ。もしお前がそう考えたのなら、そのコンセプトはいい肉だと考えられる。無理な事に挑戦するのは色んな人にとって面白いだからだ。
まだコンセプトは練りたりない。このまま書き始めれば、必ず挫折するだろう。
しかし、お前が書くべきシーンはいくつか決まった。

 

読者に「無理だ」って思わせる必要がある。
大怪獣と戦うシーンも必要だ。
大怪獣と決着をつけるシーンも必要。

 

まず、なぜ読者に無理だって思わせなくちゃいけないのか。なぜならこの物語は「怪獣と普通の少年が戦う」話で、それを聞いた読者は「無理だって」考える筈だからだ。でも「無理だけど戦う事になるんだろうなぁ」とは期待する。違うかもしれないが、お前はそう考えた。
お前が小説家でありたいなら、読者の期待に答えろ。

まずは普通の少年を出そう。コイツには大切な家族なり、友人なりがいるはずだ。普通だから、それなりにみんなから愛されていて、みんなを愛しているはずだ。

次のシーンでは大怪獣を出してしまっていい。理由は後でいい。何故なら怪獣の向かう先には、みんなから愛される普通の少年と、その少年が愛している家族と友人が居るのだから。それが危険な事であるとお前は認めないかもしれない。お前を納得させるために、見張りの兵士は頑張ったけど、死んだ事にする。大抵の読者は危険な事を認める。
お前はそいつらの日常の何気ないワンシーンを目撃しただけに過ぎないが、ここで死ぬのは可哀想だと思った。

 

少年はどうする? 彼は普通の少年だから、戦う事なんてできない。家族や友人と一緒に逃げよう。お前はその先がどうなるか予想する。逃げきれるものだろうか?
お前はそれなりに賢いから、普段の日常では隠れていた人間の本質が、このような危機では表に出やすくなる事を知っている。そしてお前がコンセプトをよく練っていたなら、この重要なシーンに伏線を仕込んでおく事を考えつくだろう。例えば、主人公の親しい人間が、裏で糸を引いていたとしたら、彼はおかしな行動を取るのではないか?

家族は全員逃げ切れた事にしてもいい。だが相手は大怪獣だし、全員殺されてしまったかもしれない……しかし、裏で何かしらの陰謀が動いているとしたら、死んでしまった人たちには共通点があってもいい。

 

これはサンプルプロットだから、主人公は生き延びた事にして、しかし、大事な人を失ってしまった事にする。読者は主人公が言葉を失い泣き叫ぶのを見て、同情するだろう。愛してくれた家族を失った悲しみを理解しないやつは少ない。

 

怪獣から逃げ切り、悲しみと共に一段落。一方で読者は考える。こんな平和な町に大怪獣が訪れるなんてあり得るだろうか? 読者はずっとそう考えていたが、主人公とかが必死だったから、空気を読んで聞かなかった。時間があるなら説明してみろと思う。思わないかもしれないが、やはり赤の他人でも誰かが死んだ理由は気になる。その理由が納得できないものだったら、読むのをやめてしまうかもしれない。

 

読者がそう疑問に思うと考えたなら、説明してもいい。主人公は茫然自失としていて、近づいては行けない場所に近寄るかもしれない。あるいは、誰かの立ち話でその事情を聞くかもしれない。
元々大怪獣は近くにいたけれど本来なら防がれる筈だったという話を聞いてもいい。あるいは町の誰かが、遠くからやってきた呪われた賢者を迎え入れたのだという謎めいた会話でもいい。
いずれにせよ主人公は立ち上がる。自分の大切な人は、自然の脅威ではなく、人為的に殺されたのだ。あるいは純粋に大怪物への復讐心でもいい。主人公はモチベーションを手に入れる。

 

でも、普通の少年が、どうやって?
もしお前がコンセプトについて学んでいたなら、既にその答えは用意してある。
大人たちに混じり訓練を始めてもいい。呪われた賢者がいるなら、祝福された賢者がいてもいいかもしれない。そいつの力を借りるか?

 

お前が大好きな構成の話をすれば、ここで主人公が決断を下すシーンがプロットポイント1になる。契機シーンとか呼び方はどうでもいい。このシーンをしっかりと考えておかないと、物語を終わらせるのに苦労するかもしれない。

 

お前は「でも」と言うかも知れない。「ヒロインが出ない小説は売れない」その言葉には一理あるかも知れない。
だが、ヒロインとのロマンスは付け合わせでも十分魅力的だ。むしろコンセプトという肉をよく学べば、そこに付け合わせがあった方がいい事に気付く、はずだ。主人公は復讐という動機だけで戦えるかもしれないが、別の者のためにも戦ってもいい。
だが今はいい肉を焼けるようになれ。ボロボロの安肉に、最高の付け合わせは似合わない。

 

今日はもうしゃべりすぎてるからここで終わりにするが、とにかくコンセプトについて学べば、小説が書けるようになる。
でも、俺がどれだけコンセプトについて教えたって、ダメだ。これは俺の面白いだから。
大怪獣云々のプロットの著作権について言ってるわけじゃない。それはアイディアで、著作権は表現方法を守ってくれるだけだ。同じアイディアで始めても、面白いは人それぞれ違うから、別の作品ができあがる。
法律の話がしたい訳じゃない。お前が小説を書けるようになるなら、好きに使え。お前が面白い小説を書けたらうれしい。
でも、面白いはお前自身の中から見つけろ。少なくとも、俺は他人の面白いで着飾った小説が嫌いだ。
また書けなくなったら、会おう。